愛山 (あいやま)兵庫県加東郡のごく少数の農家だけで作られる酒造好適米。雄町と山田錦の流れを汲む愛船、山雄を両親に持つ。昭和24年に開発されて以来、灘の剣菱が独占的に使用し、門外不出の幻の米とされてきた。今は時代も変化し、僅かに市場に出ている。いそのさわではこの希少な米を使用した酒は優と名付けて少量のみ(600kg)生産、販売している。
秋上り (あきあがり)清酒の楽しみ方としては、春先に出回る絞りたてや生酒も良いのだが、低温で貯蔵してきた酒がほぼ半年以上経って夏を越えたころ角が取れて味わいが乗り、とても良いバランスのお酒になる。このようなお酒を秋上がりした酒と呼ぶ。つまり秋になってさらに美味しくなったお酒のことである。冷卸と秋上がりは同じ意味だと勘違いしているプロの方に会ったことがありますが、ちょっと恥ずかしいですね。全然意味が違います。ところで最近はなんでもかんでも秋上がりという言葉を付ければ良いと思っている蔵元も多く、秋になると至る所で酒にこの文字が使われているのを目にする。でも、はっきり言って、元の酒の出来が良くないのに多少丸みが出た位で秋上がりを名乗るのは節操がないと思う。はっきり言って、いい加減にせい!、と言いたくなるお酒も良くある。私の秋上がりのイメージは、大吟醸クラスではなく、定番で飲めるような、本醸造、純米クラスで、香が落ち着いて優しい含香があり、味わいは素直に綺麗な旨みと伸びがあり、喉にスッと流れてゆくような酒のことである。
荒ばしり (あらばしり)お酒を絞る時、最初に出てくる部分を荒ばしりという。名前から想像される通りフレッシュではあるが、荒さもある。次に出てくるものが中取りとなる。
アル添 (あるてん)アルコール添加の手法またはそれを行った酒。添加するアルコールを良く”醸造用アルコール”と勘違いしている人が沢山いる。正しくは、”醸造アルコール”。意味は、でんぷんまたは糖質を醸造し、蒸留によって精製されたアルコール。”ひどい人は工業用アルコール”と思っている人も。原料は最低でも砂糖大根や、ジャガイモ、とうもろこしなど人の口に出来るものを用いているのだが偏見を持っている人はまだたくさんいる。純米至上主義の人は、これを目の仇にする人が多いが、話してみると案外ちゃんと理解せずに叫んでいるだけの人が多い。アル添は、実は江戸時代には”柱焼酎”の技法として既に文献にも登場する由緒正しい手法である。私は、飲んだ酒がうまいことが一番重要であり、それがたまたま純米だったアル添だったということはいいのだが、純米にも、そしてアル添にも固執したくはない。ただ、私の好みの酒は、蓋を開けてみるとアル添だったということが多い。

特定名称酒の項でも述べたとおり、アル添=増量と勘違いしている人も多い。確かに、戦後米のない時代にはにそのような使われ方が殆ど全てだったときもあり、現代でもその方法はちゃんと使われている。しかし、アル添には増量ではなく別の目的として、香味の調整、酒質の向上という大きな役割があり、現代では特定名称酒の醸造では重要な手法足り得ているという事実を是非知って欲しいものである。

居酒屋 (いざかや)必ず日本酒が提供されている純日本風飲み屋。日本酒が提供されていない可能性があるところはわざわざ”洋風居酒屋”、”南欧居酒屋”などと謳って区別していることが多い。わたくし管理人が世の中で一番投資している先は、女性へのプレゼントではなく、間違いなくここ居酒屋である。日本酒を造って売る立場になる前から、お酒の銘柄の流行、その提供のされかた、客層、料理、サービスというものに対して常に関心を持ち続けていた。もう時効だが、何を隠そう、高校生のころから千円札1枚握り締めては居酒屋にせっせと通い、高校卒業の頃には既にいくつかの店では常連になっていた。余談だが、自分の高校の古文担当の教師と居酒屋でばったり会って一緒に飲んだこともあった。

居酒屋の呼び名の由来は、一説によれば江戸時代の中ごろから小売の酒屋の軒先でちょいと一杯引っ掛けるところを作って、簡単なつまみを提供し、ここで飲んで帰ることを当時「居酒(いざけ)」と呼んでいたことに端を発するらしい。このようなスタイルは20年位前までは「角打(かくうち)」という呼び名で比較的良く目にしたのだが、今はあまり見かけなくなった。自宅で飲めばはるかに安くあがるのにどうして世の男達は外で飲んで帰るの?、という女性からの文句を耳にするのだが、男とは元々そういう習性なのだから仕方がない。何故遅く帰りたくなるのかはあまり追求しないほうがいい、とだけ世の女性方に申し上げておきたい。

さて、私は居酒屋を選択するファクターとして、サービス(人)という項目をとても重要視する。たとえ酒が最高で、料理が最高で、内装、雰囲気が最高だったとしても、人が良くなかったらそこには絶対行かない。色々な店を見てきたが、まさに人だけが合わなくて行くのを止めてしまった店がある。いまはもう店はなくなっているのだが、高円寺に少し高級なうまい焼き鳥(しゃも)を食わせるBという焼き鳥屋があった。結構流行っていたため、ちょっと遅い時間は予約しないと入れなかった。何回目かの時、予約に15分遅れてきたらしい客が申し訳なさそうに入ってきたことがあったのだが、店主はその客にむかって「あなた!(はっきりとこう言った)、15分も遅れて、しかも遅れる連絡もないので、もう席はないです、帰ってください」と言って客を追い返してしまった。確かに店主の言いたいことは分かる。予約客がきっちり時間通り回ってくれたら売り上げは伸びるし、予約ばっかり受けると席の効率が悪くなるので、いかに上手に捌くかがこういう店ではとても重要である。しかし、ブロイラーの鶏に餌を与えているのではないのだから、お客様に少しでも寛いでもらって、可能な限りゆっくりしてもらう、という気持ちが大前提として存在していればこんな対応はしないはずである。私は、(1)次回から遅れる時は連絡をいただけますか、とあくまでも低姿勢でお願いする、(2)店主の強い態度はたとえ当事者ではなくても、お客様によっては快く思わない(リラックスできない)ということを念頭に置く(他の客に配慮する)、(3)尊大な言葉遣いは絶対に行ってはならない、というサービス業として最も重要な3つの要素が足らないように感じた。要するに、尊大な店主がいる店は私がリラックスできないので一遍に酒も料理もまずくなったのである。それ以来私は二度とその店には行っておらず、お店もいつのまにか高円寺から姿を消したようだ。

今流行のラーメン屋で、店主が客を睨み付けたり、私語厳禁を強制したりするところがある。まあ、そういう店をやるのは本人の自由だが、その店を有難がって通う人間がいることが私には信じられない。少なくともリラックス出来ない状態で飲食物を提供するような場所は、たとえそれがミシュラン三ツ星級の料理であっても、世界一まずい飲食店であると私は断言できる。逆に、暖かい気持ちともてなしの心を感じるお店は、たとえ料理が上等でなくとも何度でも通ってしまう存在となる。

上立香 (うわだちか)単に立香ということも多い。酒を酒器に注いだとき自然に出てくる香のこと。このようにして湧き上がる香は当然のことながら揮発性(沸点が低い)ものが多い。果物のような甘い香のするエステルや高級アルコールなど、いわゆる吟醸香と呼ばれるものが主体となる。一方、口に含んで初めて感知できる香りは含香(ふくみか)とよばれ、もう少し沸点が高く、体温で暖められて初めて検知できる成分が主体となる。比較的落ち着いたものが多く、派手さもない代わり、長く飲んでも疲れないものが多い。香りはバランスが命なので、多すぎれば嫌味以外の何者でもない。立香と含香というバランスで考えれば、派手な香よりも落ち着いたものの方が飽きられないので、これからの清酒は、立香より含香を主体に置くべきであると思う。


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