純米



  −至上主義

(じゅんまい)米、米麹のみを原料とした製法、およびその酒。うまく出来れば、味わいが深く、こくのある酒になるが、失敗すれば重たい、切れの悪い酒になり易い。杜氏さんの向き不向きがある。私は酒が美味しければ純米だろうが、アル添だろうがあまり拘らない。
(−しじょうしゅぎ)酒の味に関係なく純米に固執すること。これを標榜する人達は数々の楽しい誤解をしてくれるので一緒に飲んでいると時間が過ぎるのを忘れてしまう。

ここで、どのような誤解が多いのか是非公開して欲しいとのご要望を数件いただいたので、ほんの一部ではあるが強烈なものを掲載しておきます。
私がある居酒屋で飲んでいたときのこと。店主は私の職業をご存知であり、ちょっとうるさいお客様に私を紹介してしまった。。。。。 (以下そのやり取り)
(客) お宅、純米大吟醸はある?
(私)はい、ございます。
(客)私は純米の切れが好きなんだ。
(私)あのう、一般的にはアル添の方が切れが出易いのですが。
(客)うんうん、それは分かる。でも私は純米の切れじゃないといけないんだ。
(私)え、どうして純米の切れじゃないといけないんでしょうか。
(客)だって、純米は飲めばすぐ分かるし、純米の切れはアル添の切れとはぜんぜん   違うでしょうが。次の日が全然ちがうんだ、頭痛くならないし。
(私)。。。。。(唖然)
さて何処が変なのか、お分かりでしょうか?

真精米歩合
  

(しんせいまいぶあい)通常の精米歩合の計算方法は、割れ、死粒などの発生により真の値との間に誤差が出る。そこで1000粒の精米前後の重さ(千粒重:せんりゅうじゅう)の比を用いて計算することにより、精米途中に砕けてしまった米の影響を排除でき、より現実に近い値となる。

ところで真精大吟醸と呼ばれるお酒があるのをご存知だろうか。精米歩合を見掛精米歩合ではなく、この真精米歩合で表示して大吟醸を造りましょうという企画で、この企画に賛同したいくつかの蔵元から真精大吟醸と銘打った大吟醸酒が市販されている。表示をより現実に近く、正しいものにしようという気持ちは大いに結構であります。ただし、精米歩合だけを正しく表示したとしても、それ以外のファクター(最大のものは造り手というファクター)の方がお酒の旨さにはずっと深く関わってくるため、この表示だけでもって美味しい大吟醸を示す印籠とはならないのである。


精米歩合

(せいまいぶあい)玄米に対する精米後の白米の重量比。普通の食卓に上る飯米で90%程度であるが、清酒の場合普通酒で70〜80%、吟醸酒で50〜60%、大吟醸で30〜40%位である。その中間は、粕歩合との兼ね合いでどちらになるかは蔵元次第。精米歩合40%、山田錦を使用していても大吟醸と表示しない蔵元もある。法律では、一応特定名称酒が70%以下、吟醸酒で60%以下、大吟醸酒で50%以下という規定がある。

精米歩合が高いほどいい酒になるとは限らないところがまだ一般には正しく認識されていない。粕歩合の項でも述べた理由のほか、造る人の問題でそれを超えたところに酒質を左右する大きなファクターが存在する。良い杜氏さんが造れば60%の精米歩合でもものすごく美味しい酒にだってなるのである。また、削れば削るほどタンパク質含有量が減るから、という考えもどうやら間違い。ある一定量磨いてしまえばたんぱく質含有量は変わらず、心白とよばれる器質的な差異が存在するという要因が大きい。沢山削って心白のみに剥いてしまえば、米の物理的構造が均一になり、麹も造り易く、吸水も計り易く、結果としてよい酒が出来易いのは正しい。しかし、この程度は杜氏さんの腕でカバーできてしまうというのが酒造りの実情でもある。正しいのは「あの杜氏さんが、この米を使って、35%まで磨いた酒は1万円の価値があるだろう」という言い方である。

精米歩合の数値にも実は一般には知られていないマジックが存在する。見掛け精米歩合の項を参照いただきたい。



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