竪型精米機

(たてがたせいまいき)米の高精白を基本とする吟醸酒、特定名称酒の歴史はこれなくしては語れない。竪型精米機は大正時代の終わりに発明され、昭和の一桁の時代の頃に実用段階になった精米機である。詳しい構造は検索すれば何処にでも載っているので省略するが、米を削るようにして精米するため、これによって高精白が初めて可能となった。それ以前は、横型精米機が主流であり、米同士をこすり合わせて精米するため、せいぜい80%程度の精米歩合が限界であった。大体勘のいい人はお分かりであろう。それ以前の人達が飲んでいた酒は、実は現在でいう吟醸酒どころか、j純米とか本醸造などの特定名称酒にすら相当しないのである。せいぜい、現代で言う「(良心的な蔵元が造る)米だけの酒」か「(アル添のみの)上撰」に相当する酒なのである。では、竪型精米機が発明されて後は、吟醸クラス、特定名称酒クラスの酒が瞬く間に普及したか、と言えば全然そうではない。

高精白による吟醸酒が試験的に醸造されたのは竪型精米機が導入されてそれほど時間は経っていなかったのだが、時代はまさに戦争へと向かう時期で、贅沢は敵だの風潮が支配的、それを大々的に造れる状態ではなかった。また、戦後はご存知のように大変な食糧難の時代で、酒そのものが贅沢品だったので、高精白のお酒なんてとんでもないという状態であった。また不足しているという以前に、甘いもの自体が殆どなかった時代なので、お酒の味わいも吟醸酒のように甘みを抑えてすっきりと仕上がった酒はその時代の嗜好に合わず、むしろ甘くてベタベタするような酒の方がはるかに時代にマッチしたスペックであった。そのような時代に育って、ベタ甘の酒に慣れきった人達が飲酒人口の現役を担っていた昭和40年位までは、吟醸酒は市場からは全く顧みられず、蔵元がひっそりと試験的に自家用か出品用に造っていた程度であった。昭和50年代になってようやくベタ甘の酒への反発と、食の嗜好の変化から吟醸酒が普及し始め、今日に至っている。つまり、技術的に吟醸造りが可能になってからさらに30年以上もの間、これら特定名称酒は市場から全く顧みられることはなかったのである。

つまり吟醸酒、特定名称酒(最初はこの呼び方は存在していなかった)が本格的に普及し始めてからまだ30年弱なのです。世界の名だたる酒の歴史からみれば高々四半世紀しか経っていない酒はまだ産声を上げたばっかりに等しく、まだまだ時代の波に揉まれていない。これまでもかなり紆余曲折と質の変化が起こったし、これからも起こるだろう。あの歴史あるフランスワインでさえ、いまだに変わり続けており、葡萄の栽培方法だけでなく、味わいにストレートに影響を与えるようなドラスティックな変化もままある。たとえば、1990年以降のボルドー(特にカベルネソービニオンを主体とするもの)は全体的に早飲みにも耐えうるようなスタイルの変化が起こってきたと個人的には思っている。それ以前のものでは「うーん、このワイン濃いけどガチガチだね、全然開かない」といいながら開けたのを後悔することが良くあった。日本酒の特定名称酒はこれからもどんどん変化して、さらに良いものへと進化、発展を遂げるべきものであると思うし、そうならないと先がない。そして、ちょっぴりその方向を予想してみると、吟醸香をどんどん増やして化粧水化する方向はもはや先が無いように思える。いまだに香りに固執しているように思える酒は沢山存在している。しかし、日本酒の香り成分は殆ど研究されつくしており、そのどれが突出していても結局は消費者に飽きられてしまうのは私が親しくしていただいている日本酒大好きな人達が身を以って実証済みである。今後は、味わいとか膨らみが中心で、心地よい含香のある吟醸酒が暫く主流になるのではないか、と思っているのだが。それから、生酒も程ほどにしておかないと、今は一年じゅう生の商品が溢れ返っているように思える。こういうものは新酒が出てきたほんの一時期だけ、季節感、フレッシュ感を楽しめばそれで良く、後は火入れを主体にするのが本来のスタイルであろう。私は生ヒネは嫌いだが美味しい生は好きなのでさっと流通して、さっさと無くなるくらいが丁度良いと思っている。

ところで、ベタ甘といえば、地方の鄙びた町などで時々口にする料理で、どうも甘すぎて食べられない食べ物に時々遭遇することがある。こういう言い方をするとちょっと失礼にあたるかも知れないが、敢えて言わせて貰うとやはり戦後の食糧難に苦労した経験のある人が料理人であるか、そういう料理人の料理を子供の頃に食べてきた人が料理人である場合が多いようで、甘いのがご馳走と思い込んでいるのである。東北で食べた甘いぜんざいのような肉じゃが、水あめのようなベタ甘の液体で煮た大豆の煮豆、九州のどろっと甘いたまり醤油で食べる刺身、場所は忘れたが砂糖醤油水に漬かったような鰈の煮付けなど、全国至るところで経験した最悪の料理を今でも思い出す。酒の一時のベタ甘の傾向といい、今でも残る甘いのがご馳走といえる料理の味付けといい、戦争が引きずる忌まわしい過去はこういう形で今も影響を受けているのだな、と個人的に想像したりするのである。

ダレ

(だれ)清酒中のたんぱく質成分が酵素によってブドウ糖、アミノ酸に分解され甘みを増すこと。相対的に甘み以外の味の成分が減少するためバランスを崩し、締りのない酒となる。甘ダレともいう。生酒の保管が悪いと発生し易い。

ダレを熟成による好変化と捉える人達がいる。「うーん、この酒は甘みがぐっと出てきて美味しいですねえ」
なんて言ってるその酒を飲んでみると見事にダレていたりして。一つの何か突出したものがあるよりも、調和、バランスが大切なのだが。ましてや、ダレの甘みが出ているときには高い確率で生ひねなどの変化も一緒に感じるため、口の中はものすごいことになるはずなのだが、本当に心からそういう酒をうまいと思っているのだろうか。


つわり香

(つわりか)つわり香とは吐きたくなるような香りのことであり、生ごみのような、漬物のような香りである。バター臭とも言われる。原因物質はダイアセチル。通常の清酒の発酵過程でも微量の発生があるが、火落ち菌の発生や腐造(ふぞう)によって大発生する。

名前から想像される通り口に含めば卒倒する香りであるが、でも意外とある。私は、あるきき酒会でそのような酒を口に含んでしまったことがあり、本当に朝食べた飯が喉まで上がってきのたが、かろうじて押しとどめたことがある。あと数十点残っていたきき酒はそこで挫折しました。 でも悔しいので暫くその酒をきく人の表情を観察していると、眉をしかめる人も確かに多かった、でも殆ど普通の表情の人も結構いて案外気づかない(気付いても平気?)人もいるということが勉強になりました。


(てつ)酒造用水に含まれる有害成分として最も嫌われるのが鉄分。酒造りは金気を嫌うと昔から良く言われてきた。鉄は酒の色を褐色化させ、味や香りを劣化させる。日本酒の劣化臭の代表、老ねは、通常は時間を掛けてゆっくり進行するが、鉄分があるとその原因であるアミノカルボニル反応を促進させる。


特定名称酒

(とくていめいしょうしゅ)吟醸酒、純米酒、本醸造の3つをいう。大吟醸は吟醸のうち特に精米歩合が50%以下のもの、特別本醸造、特別純米などの”特別”の文字は造る側の気合が入っていれば付けてよいらしい(本当は特別を付けるだけの理由が必要という条件なので悪しからず)。本醸造と純米は、アルコール添加があるかないかだけの違いなので、純米吟醸などの複合表示も可能。でも本醸造吟醸とは言わない。ここで注目したいのが、特定名称酒のアル添についてである。

アルコール添加の目的の一つとして増量があるのだが、これは普通酒、三倍増醸酒に当てはまるのであって、特定名称酒の場合は関係ない。何故なら、特定名称酒のアルコール添加量は、使用する白米の量に対して10%以下と厳しく定められているため量はあまり増えないからである。では、特定名称酒のアル添の真の目的は何かというと、
柱焼酎の項でも述べたように、酒質の向上に他ならない。酒が重たくならず、香りのバランスが良く、ハネがあり、長く飲んでも疲れない酒が出来易い。そして、蔵元によっては10%どころか5%も加えていない場合もある。目的はあくまでも酒質の向上なので当たり前である。

純米至上主義の人達の中には、そういう事情を全く理解せず、すぐ”増量”のためのアルコール添加を槍玉に挙げる人達がいる。そういう人達に限って”吟醸酒”を飲みながら批判していたりするので、私は心の中でニヤリとしているのです。

(ある日本酒に詳しいファンの方からの突っ込み)
実は、このようなことを書いたらとても日本酒に造詣の深い日本酒ファンの方から以下のようなご質問、ご意見が寄せられました。

(突っ込み)添加するアルコールが白米に対して10%に制限、といえども95%換算のアルコールなので清酒の度数(10度台後半)に直すと相当大量のアルコールとなり、これは増量といえるのではないか。つまり特定名称酒のアル添は実は増量の目的が入っている。普通酒よりも単に基準が厳しいだけである。

うーん。なかなか鋭いところを突いてきます。多分純米を信奉している方なのだと思います。確かに10%というと、一見、出来上がりの日本酒の十分の一のようなイメージを持たれ、僅かという印象を抱かせてしまうのですが、実際はそうではありません。私の書き方が良くなかった(説明が不足していた)のです。まず、制限ぎりぎりのアルコール添加を行った場合の話ですが、途中の計算方法は全部省略して結論をいうと、出来上がった清酒のアルコールの約4分の1に相当します。つまり、出来上がった酒のうち、25%の部分が添加したアルコールに由来することになります。ですから、この25%は10%よりははるかに多いので、増量にあたるのではないか、というご質問の主旨のようです。

まず、純粋に酒の味わいとして25%を多いと見るか少ないと見るか、ということですが、実はそんなことは誰にも分かりません。ただ、駿は純米も本醸造も販売しておりますが、どちらにもファンがいらっしゃり決してどちらが優れているというものでもありません。私個人は今のところ駿はアル添の方が好みの場合が多いかな、という程度です。タンクによっては純米の方が好みであることもたくさんありました。で、たとえアル添の方が美味しかったとしても25%も加えたら別の酒と呼ぶべきではないか、という議論については、これはもはや酒税法による分類がそうなっていないというだけで、固執する必要もないし、私に質問されても困るだけのものです。ビールメーカーの企業努力の結果、ビールの別分野としての発泡酒を開拓したように、アル添酒にそういう酒税法上の分類を課しても別にかまわないと思います。ただ、アル添自体は江戸時代から日本酒に行われてきた技法なのでありますから、アル添酒は日本酒ではないという論法はちょっと無理があります。

ついでに言うと、添加するアルコールは少なくとも口に出来るものを発酵して生成されたものです。例えば、「黒くてドロドロとしたコールタールのような廃糖蜜という(オドロオドロしい)液体を原料にしたアルコールを加えている」ので、添加するアルコールはものすごい悪玉であるかのように言われる純米至上主義の方に会った事があります。私は「そうです、そうやって造られたホワイトラムを加えています」と答えています。私はラムは大好きです。で、樽に貯蔵する前のラムで連続蒸留によって95%未満に精製された一般的(industrialタイプ)なラムをホワイトラムと呼びます。実は、清酒に添加するアルコールのうち(実はいくつか種類があるが)廃糖蜜を原料としたものは、ホワイトラムと全く原料と製造方法が同じなのです(度数が僅かに違うのですが)。サトウキビを煮詰めたものは、黒くドロドロしています。あの香ばしい黒砂糖を抽出した液体(の残り)ですから当然です。でも、有害なコールタールではありません。まったく、感情論に走ってしまうと、何も見えなくなる人達の典型です(> コールタールと呼んだ人達)。で、添加するアルコールが少なくとも眉をしかめる物質ではないとしても、ホワイトラムや他の穀物アルコールを加えたら清酒と呼べないではないか、という議論は、上にまた逆戻りですが、酒税法の範疇の問題なのでなんとも答えようがありません。奄美の黒糖焼酎だって原料にサトウキビ以外に米麹を使うようになったので、(サトウキビのみを原料としていた本来の)黒糖焼酎ではありませんという人もいるかも知れませんが(会った事はありませんが)、この問題も実は酒税法の範疇の問題なので何もコメントできないのです。ただ、黒糖焼酎の場合も米麹を使用することによって、麹の出す酸によって雑菌が押さえられ、従来より雑味の少ない綺麗な焼酎となったという良い効果があるらしい(私は昔のものを飲んだことが無いのでことの真偽は分からない)のです。また、外国ではワインに平気で補酸、補糖をして普通のワインとして売っていたりします。それはその国の酒税法に相当する法律がそれを許しているからに他なりません。

ちょっと脱線しましたが、では、コスト的に見て出来上がった清酒の25%は無視出来ない量であり、これは増量して(儲けて)いるのではないか、というご質問に限って答えるとすれば、「駿に関してはそうではない」とお答えします。何故なら、駿は純米も本醸造も原料費によるコストの違いはそのまま売値に反映しており、わざわざ裏でこっそり増量する理由が全然ないのです。なぜ本醸造あるいは吟醸を造るのか、といえばやっぱり「純米より本醸造あるいは純米吟醸より吟醸の方が好み」と言われるお客様がたくさんいらっしゃるからです。(もちろん逆のお客様もいらっしゃいます) ですから、駿に限って言えば目的はあくまでも香味調整、酒質の向上のためにアル添を行っているのです。



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